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zoom RSS 龍馬伝 (43)

<<   作成日時 : 2010/10/24 21:07   >>

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今回は有名な船中八策のエピソードですね。
一説には船中八策はなかったとも言われていますが、船中八策の内容から言うとあったとする方がなんだか龍馬らしいと思うのですが、私の中には多少なりとも司馬遼太郎のイメージがあるのかもしれません。
さて、その船中八策の一項目の大政奉還はドラマでは木戸さんに教えてもらったことになっています。
そのアイデアをドラマの中でも木戸さんがすでに何人かが唱えていた、と言っていましたが、その一人が幕臣の大久保一翁です。
龍馬さんが心酔していたのが、むしろこの大久保一翁の方で、沢村惣乃丞と一緒に以前に面会しすっかりその考えに染まったようです。権平兄に手紙でも書いています。
しかし、ま、たいていの幕末ドラマじゃ無視。
この辺の人間関係、描くのは難しそうですから。

オープニングの会議は雄藩による会議でした。
幕末の四賢侯といわれる大名たちが集まったわけですが、ここでは本来将軍と雄藩による合議によって政策を決めていくはずでした。
ドラマでは慶喜公と薩摩の島津久光が兵庫開港と長州の処分問題で対立していましたが、薩摩も兵庫開港には反対していなかったようです。しかし、慶喜公が結局、薩摩が求めていた長州の寛大な処分を朝廷に上奏せず、兵庫開港だけを上奏しました。
これに久光公が激怒します。
これは慶喜公が会津藩たちの反発を恐れたからだとも言われますが、戦争をやって色々な立場ができてしまった以上、慶喜公がどっちに賛成しても角が立ったのではないか、と思いますし、慶喜公も自分の中の優先順位に従って、選択したのでしょう。
そこで、慶喜公は長州の処分問題を先送りにしようとします。ドラマと違って。
しかし、一度慶喜公には痛い目に遭わされている久光公は、西郷さんたちの意見を採用することにします。
ですが、薩摩藩にはこのころ薩英戦争時の復興費用など財政問題を抱えていました。
簡単には挙兵ができる状況にはなかったのです。
もっとも、この頃の島津久光公は挙兵計画なんてあることは知らなかったようです。
ドラマでは知っているようですが。

一方、参政の後藤象二郎さんは藩論を大政奉還へ一本化を図っていました。
ドラマでは長崎へ行って、それから今日へ向かっただけにようでしたが、主君の容堂公が武力倒幕に反対している以上、土佐藩として独自色を出しつつ藩論をまとめるにはこの方向しかないでしょう。
しかし一方で、ドラマでは岩崎弥太郎に会社を興す決意をさせるきっかけでしか出て来ませんでしたが、武器や軍艦を購入しようとしているわけで、慶喜公に大政奉還を決意させる手段としてだけではなく、最後の手段としての武力倒幕も選択肢として考えていたのかもしれません。
参政にもなる人です。
それくらい、天秤にかけていたと思います。
どちらにしても、前回龍馬さんが言っていたように土佐藩だけでは大政奉還を決意させることはできません。
一方、藩論の不統一や財政問題もある薩摩も、ドラマのような武力倒幕一本というわけには行かない状況でした。
そこで、西郷さんも武力でなくとも幕府が解体できたらそれでよいので、土佐藩に相乗りしたのです。
ドラマの大久保利通は賛成しかねる感じですが。
そこで結ばれたのが薩土盟約です。

ドラマでは、一方的に薩摩藩に押されっぱなしの土佐藩って感じでしたが、薩土盟約の条文には船中八策、あるいは龍馬さんの書いた新政府綱領八策の内容を盛り込んだ内容となっているところを見ると、土佐藩の考えに基づく盟約と言えると思います。

さて、次回は長崎のイギリス人水夫殺害事件ですね、
これがまた土佐藩の運命を変えてしまいます。

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