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zoom RSS 天地人 (18)

<<   作成日時 : 2009/05/04 02:39   >>

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変わるもんですね。
まだ2年前でしかない「風林火山」の合戦シーンではほとんどなかった俯瞰による合戦シーンがガンガン出てきました。
CG、というかVFXを使うコストがだいぶ安くなってきたからでしょうか。
平城である魚津城の攻囲戦も俯瞰で見ると、守る側の大変さがよくわかります。
織田信長の死以前である戦国中期では普通は山城、あるいは山中城が普通でしたが、それは稜線など天然の地形を使って防御陣地を築きやすいからでもあります。
その点、平地に作る平城は政治中心地としては良いのですが、天然の要害を利用できない分、防御陣地としては弱くなりがちです。
なので、たやすく落城の危機に瀕することになるのです。
それでも、兵力差を考えると3ヶ月も保ったのはすごいことではないでしょうか。

そのVFXを使った(?)合戦シーンは、まだまだ安っぽいシーンでしたが、これから発達してくるでしょう。
「ロードオブザリング」シリーズのときのように、兵士が雲霞の如く出てくる戦いでは、VFXを使ったシーンも自然に見えるのですが、兵士の数が少ないとどうしても安っぽく見えちゃいますね。
一方、兵士の数が多いと、織田方1万5千V.S.上杉方3千の割に兵士が多すぎでねぇ?となってしまうので難しいところです。
このあたりは今後の課題でしょう。

ところで、当時の魚津城は水堀なの?
当時は空堀の方が多いと思うのですが、兼続くんは泳いでました。
ネットで調べると、どうやら水堀のようですが、それは海または河から引き込んだということ?
わかりませんねぇ。

もうひとつ、なぜに「義の戦士たち」と、タイトルがついているのかさっぱりわかりませんでした。
「愛の戦士たち」の猿まね??
兼続くんの戦略を魚津城の現場の人間が理解を示しているのに、景勝さま周囲がさっぱり理解していないのが「大丈夫かよ、おい」と思ったのはおいておいて、魚津の城で戦う上杉方をさして「義の戦士」と呼ぶのは大げさな。
彼らはやるべきことをやっているだけですよね。もっともドラマの中で言っていたとおり武田の軍とはそこが違うところですが、「義の戦士」とは違うような(苦笑)

では、死を前にしても逃げない上杉に味方する武士たちと、平気で裏切った武田の武士たちとは何が違うのでしょうか?
今回の大河ドラマでは「義」という言葉で表現していますが、それはちと違うのではないかと思います。
当時は裏切りは普通であり、武士=忠義という図式が成立するのは江戸に入ってからです。
とは言っても、当時でも次から次へと裏切り続けていては信用をなくしていたとは思いますが。
では、この違いは何かというと、コミュニケーションラインの維持の差ではないかな、と勝手に思います。
武田軍は長篠の戦いで宿将の多くを失い、まず武田勝頼からその配下のラインがずたずたになります。それで領地を保つ勝頼配下の将と国人たちとのラインが続いてずたずたになります。その上、敗北による軍資金不足により満足に後詰めが出来ない状況、国人たちには何の関係もない織田、北条とのエンドレスの戦いや上杉への介入、などもあって武田は内部崩壊していきます。
一方、上杉方の多くは景勝さまと一緒に御館の乱を乗り越えた将兵が中心です。御館の乱で景勝さまに味方したのはもともと先代謙信公に取り立てられたものたちが中心でした。彼らは謙信公によって今の地位に取り立てられ、先年御館の乱を一緒に乗り越え領土を安堵されたことで景勝さまとのコミュニケーションもばっちりです。景勝さまの周囲の上田集なんて言わずもがなです。
このようなコミニュケーションが維持されているかどうかが、攻められたときに味方するのか裏切るのかで現れたのかもしれません。




「天地人」を歩く
祥伝社
火坂 雅志

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