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zoom RSS 八重の桜 (27)

<<   作成日時 : 2013/07/07 22:54   >>

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久しぶりにブログを更新いたします。
ここのところ、八重の桜が終わると空飛ぶ広報室を見ていて、ブログ更新の気力が尽きてしまって、それきりでした。
しかし、無事空飛ぶ広報室も終わって、久しぶりに更新いたします。
前回から会津鶴が城包囲戦が始まりました。
新政府軍が予定より早く会津盆地へ進軍してきたため、白虎士中二番隊を含め、戸之口原で新政府軍を撃退しようとしましたが果たせませんでした。
そのとき、命令も無いまま白虎士中二番隊は前線へ進出してしまい、撃破されて後方へ下がりました。
しかし、命令系統から離脱したまま、飯盛山へ下がってしまい、自刃へ到ってしまったようです。
士中二番隊以外の白虎隊はちゃんと鶴が城まで戻り、籠城戦を戦っています。

そして、戸之口原を破られたため、城外へ進出していた容保公を鶴が城へ返すまで戦って田中土佐や神保内蔵助が自刃して果てました。
これによってNo.1と2の家老がいきなり果てたことになります。

新政府軍は一気に外郭を突破して、内郭まで迫ります。
しかし、我らがスナイパー八重ちゃんの狙撃で大山巌を負傷させ、なんとか会津軍は外郭まで新政府軍を撤退させることに成功します。
実際には、攻城戦をするのに準備不足だったため、外郭まで下がり包囲戦の準備を整えることにしたのが真相です。

さて、今回は娘子軍です。
前回間違った情報で入城どころか城外へ来てしまった中野竹子たち。
ドラマでは省かれていましたが旧幕府軍の衝鋒隊と合流した後に、ドラマにあったように新潟戦線に出ていた萱野権兵衛隊に一緒に入城できるよう直談判します。
ドラマであったような経緯は妹の優子の証言にもあります。
そして、翌朝、有名な涙橋の戦いで新政府軍と戦うことになりました。
優子の証言によると竹子も優子も敵を薙刀で斬り、その返り血で真っ赤になっていたそうです。
敵弾を受けた竹子は、それでも姉を引き摺っていこうとする優子に介錯を依頼し、優子を三回かかって介錯したそうです(なお、本人の告白はそうなのですが、介錯は母という説もあるそうです)。
竹子の首を優子は持って帰ることができず、会津の農兵が葬ったそうです。

その頃には鶴が城東南にある小田山へ新政府軍は大砲を設置し、城へ砲撃を開始します。
ドラマでは急襲されたために兵力不足で小田山まで十分な兵を回せないと梶原平馬さんでしたが、外郭の外の上、湯川を超えていかないと小田山まで達することができません。
そのため、小田山を守備するのはかなり難しかったと思います。

兵力不足を補うように、山川大蔵の部隊が日光口から帰ってきました。
日光口は結局、山川隊が撤退するまで、対する谷干城の隊は突破できませんでした。そのため、谷は山川大蔵の名を知り、戦後推挙することになるのです。
さて、彼岸獅子の踊りとともに入城した大蔵隊。
これで籠城側の兵力は約3000です。
佐川官兵衛隊、山川隊、白虎士中一番隊、足軽白虎隊などが籠城していました。
一方、鶴が城の北の外郭はすでに新政府軍が押さえており、小田山からの砲撃は始まっていました。
そして、火薬庫が押さえられ、一見会津側は限界のようにも思えます。
とはいえ、この時点ではまだ包囲網は完成しておらず、会津側の反撃の余地は一応残っていました。
一方、これから先どんどん新政府軍は増えていきます。
西郷頼母の開城のすすめは、抗戦派の面々には聞く耳が持てないこともたしかなことではあったのです。
今は旧暦で8月26日です。

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八重の桜 第27回「包囲網を突破せよ」
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