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zoom RSS 八重の桜 (11)

<<   作成日時 : 2013/03/17 22:37   >>

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今回は象山先生暗殺と禁門の変前夜でした。
なお、禁門の変とはドラマでは蛤御門の変と呼んでいるものです。
前回の池田屋事件は穏健派へ政権交代していた長州藩内で急進派が息を吹き返すきっかけとなりました。
長州藩士が斬られたり捕縛されたりされたからです、
池田屋事件が起きたのが1864年6月5日のことです。
それから1ヶ月後の7月11日に起きたのが今回のドラマ冒頭の佐久間象山暗殺でした。
ドラマでは無名な数人の浪士に暗殺されたように描かれておりましたが河上彦斎らの名前が残っています。
その佐久間家はドラマでは取りつぶしになってしまいました。
その理由は背中から切りつけられた、いわゆる士道不覚悟でした。
普段からその発言から敵の多い象山だったので、本来なら味方である松代藩からこれ幸いとして裏切られたのでしょう。
もっともその遺児は新選組に入隊しながら途中で脱退するという中途半端なことをしていました。
その入隊を進めたのが山本覚馬さんなのですがドラマで出てくるのでしょうか?

長州藩は先年の八一八の政変で京を追放になったのはえん罪であるとして京へ兵を差し向けます。
もちろん、これは急進派が息を吹き返したから実現したのです。
藩主の息子毛利定弘が名目上の指揮官となっていました。
実際にはドラマに出てきた久坂玄瑞、来島又兵衛らに加え、家老の国司信濃、益田右衛門介、福原越後が率いていました。そこへドラマに登場した筑前の真木和泉が加わります。
このうち福原越後は伏見の長州藩邸に布陣し、他は天王山に布陣しました。
6月中のことです。
伏見からは伏見街道、竹田街道で、天王山からは西国街道をつかってまっすぐに京へ上ることができます。
これでいつでも京へ上る事ができる状態になっていました。

その状態になってもドラマでは揺さぶりをかけるといって一橋慶喜公は積極的には動こうとしませんでした。
他の藩に到っては会津藩と長州藩の私闘に巻き込まれるトラブル回避で日和見です。
この諸藩の様子にさらに慶喜公は態度を翻すことばかりでした。
もっとも、慶喜公と長州藩との関係はこの時点では悪いものではありませんでしたので、交渉で説得できると考えたのかもしれません。
慶喜公の態度には会津藩の家老の皆様も歯がみしておりましたが、そこは幸い、長州藩が復権し長州藩寄りの公家が復活することを恐れる(三条実美一派が長州藩兵と一緒に上京するという噂もあった)孝明天皇らが長州藩を討つことを決定いたしました。
幕府や薩摩藩を初めとする諸藩も長州が会津を破って復権することを恐れたので協力をするようになったのです。
この決定は7月18日のことです。
この時点で長州藩兵は京へ動き始めていたのです。

その長州藩は何がしたいのかという点は次回に譲りましょう。
ドラマでは松平容保公の首を取る、という風に言っているのですが、帝お気に入りの会津中将の首を刎ねてただでは済まないと単純に思うのですが。
それで朝敵になるとは長州藩の人たちは微塵も疑っていないのでしょうね。

会津では、山本八重ちゃんの末弟、三郎くんが佐川官兵衛の隊に入隊して上京すると言って父親に拒否されていました。
覚馬に何かあれば家を継がないといけませんし、なによりとっつぁまから見ると子供。
でも、いつの間にか子供を卒業しようとしていました。
その理由があんつぁまがいないから自分ががんばって新式銃の採用や意見を取り入れてもらおうというもの。
子供らしい理由ではあるけれど、そのためにぶつかっているところ、ほんと山本家三兄弟似たもの同士ですね。

さて、次回は禁門の変です。
一方、八重ちゃんにもついに春?

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