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zoom RSS 平清盛 (50)

<<   作成日時 : 2012/12/24 00:09   >>

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今年の大河ドラマも最終回でした。
平清盛自身を描くということは少なかった回ではありました。
しかし、平家の運命と、清盛の遺志を受け継ぎ武士の世を作り上げようとした源頼朝、という意味では良かったと思います。
先駆者と、その後継者の両方がいて、その道は単純ではなく、孤独、誤算、おごりといった失敗が重ねられていき、だけどそれを受け継ぎものが新たな道をつくっていくという好きな物語でした。
平安という一つの時代の終わりと、以後千年続く新しい武士の時代を作ろうとしたエネルギーが伝わる大河ドラマだったと思います。
また崇徳帝や平頼盛、藤原頼長のようにこれまで悪人とか裏切り者としか描かれなかったものがきちんと描かれているという点でもよかったと思います。
平頼盛が結局、母や兄の清盛の言ったとおり平家の血筋を残していったのが好きでした。

ただ残念だったのは武士の世というものがあまりはっきりしたイメージが伝わりにくかった、という点でしょう。
これは、他の本や資料をあたり補完してやればもっと見えたかもしれません。
そこは欠点だったと思います。
しかし、清盛自身が武士の世とはなんなのかはっきりしたイメージを持っていなかったかもしれません。
また形なきものを新たに作り上げようとしたこと自体が難しいことではあるので、そういった新たなビジョンそのものが武士の世だと解釈するようにしております。

さて、清盛死後、ドラマでは平家一門は凋落するだけだったような描かれ方でしたが、そんなことはありません。
清盛の死の直後に平重衡を中心とした平家軍は美濃墨俣で源行家らの反乱軍を撃破します。
どうみても戦下手の行家が相手とは言え、大勝し、多くの首をあげています。

それから二年、源平両軍とも全国的な飢饉のため、大規模な軍事行動が起こせませんでした。
兵を挙げた源義仲を討伐するために北陸へ平家軍は進撃することにしました。
しかし、折からの飢饉のため食糧調達がままならず、兵力不足で平家と主従関係もない武士を使わなければならず、現地調達をしなければ軍を維持できなくなっていました。
結束力が高い軍を使うことができないことを意味します。
率いるは平維盛。
彼が率いるということは平家の主力軍ではありません。
平家側の軍は寄せ集め以上の軍隊を構成できず、源義仲に敗北します。

余勢を駆った義仲は京へ進軍します。
平宗盛は京四方を平重衡、平知盛、平頼盛、平忠度らに守らせていましたが、義仲に連携して、摂津を守る多田行綱(鹿ヶ谷事件の密告者)が平家を裏切ろうとしていました。
西日本からの補給を遮断される上に義仲と多田行綱の間で孤立することを恐れた平家は、都落ちを考え始めます。
さらに後白河院が平家の手を逃れて比叡山に逃亡しました。
そこで安徳天皇だけを連れて、平家一門は都落ちを決行したのです。
西へ逃れた平家は、九州からもたたき出され、結局四国へ逃れたのです。

京を押さえた義仲は後白河院の院宣を得て、平家討伐に向かいます。
しかし、今の岡山県の水島で重衡率いる平家軍に義仲は敗北し、京へ逃げ帰ります。
さらに播磨で平家は源行家を破ります。
平家軍は一気に一ノ谷まで進軍します。

その頃、安徳帝の後継を巡って義仲と対立する後白河院は、東国の支配を認めることを条件にして源頼朝の西への進軍の約束の取り付けに成功します。
源範頼、源義経率いる義仲討伐軍は上洛を開始します。
討伐軍に源義仲は京六条河原で敗北し、近江粟津で討ち取られます。

後白河院に和平話をほのめかされた平宗盛は油断します。
一ノ谷の東から範頼に、迂回して西から義経に攻められた平家は船で海へ逃れるしかありませんでした。
この戦いで多くの犠牲が出たのではドラマ通りです。
ドラマでもあったように伊藤忠清ら伊勢に残った平氏たちが蜂起し、九州にもまだ平氏に味方をするものがいるため、源範頼が九州へ派遣され、義経が近畿の平定を行うことになりました。
義経は伊勢を平定したのですが、範頼は飢饉と長い補給線のため、九州平定に苦労することになります。
その報を聞いた義経がまずは平家の四国の拠点である屋島を独断で攻めて、続いてもう一つの平家の拠点である下関の彦島へ向かいます。
範頼は九州平定を優先し、援軍のみを下関へ送ります。
そして発生したのが壇ノ浦の戦いです。
平家優勢に始まった壇ノ浦の戦いも、平家に味方していた四国の水軍が源氏に味方するようになったため形成は逆転し、午後四時ごろには平家の敗北は決定していたそうです。
後はドラマの通りです。
壇ノ浦で、平家の多くは死亡し、棟梁宗盛は捕縛後、斬首されます。捕縛された平家方の多くは同じ運命を歩みます。
こうして、平家は滅んだのでした。

ドラマでは重盛の妻経子は平家一門と壇ノ浦で運命をともにしました。
しかし、史実では生没年不詳のためこれが史実かどうかは不明です。
平頼盛は一時的に朝廷へ復帰しますが、ドラマでもあったとおり以後重用されることはなく、一年後に亡くなります。しかし、彼の子供達は生き延び、孫娘は天皇を産んでいます。
生き残った建礼門院徳子は出家し、一門の菩提を弔ったそうです。
平家物語では大原で隠棲した暮らしたように言われていますが、史実では京に戻り長く生きたようです。

一年間、大河ドラマを見終わって、その出来に今年は非常に満足に思います。
また、見たくなるドラマでした。
来年は幕末期から明治時代です。
どうなるかは分かりませんが、今年同様面白い大河ドラマであることを望みます。
予告を見ると、幕末中心に見えるんですが、違いますよね?



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