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zoom RSS 平清盛 (49)

<<   作成日時 : 2012/12/16 21:42   >>

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今回は、時間的にはほとんど進んでいません。
治承4年(1180年)末の南都焼討で新年を迎えました。
ドラマでは、平宗盛が新年の祝いを言ったところで次々と反乱の報告が来て、陰鬱の新年でしたが、昨年末にはなんとか近江の反乱を鎮めており、新年には美濃方向へ逆襲に出る予定になっており、絶望はしていなかったと思います。
美濃方向への総大将は平重衡ですが、ドラマでもあった九州での菊池隆直の反乱があったので九州方向へ転出になりました。
そのため、おそらく美濃方面軍は平維盛、資盛兄弟が指揮することになったと思われます。
おそらく、これは平清盛の指示でしょう。
それだけまだまだあきらめていなかったと思われます。
しかし、実際には九州方面軍は作られませんでした。
代わりに、平貞任を九州へ派遣します。
ドラマでも、さらに惣官職をおいて、畿内での兵役義務と兵糧米を課して、戦時体制を作ろうとしていました。

そうして苦しい中でも平家は逆襲を考えていました。
その中で平家の総帥、清盛はぶっ倒れてしまいました。
ドラマでは、その前に清盛は後白河院と双六対決をして、武士同士が覇を競う武士の世の到来を告げました。
まるで遺言のようでしたが、このときの清盛は、政権を奪った時には実感できていなかったかもしれませんが、このときにはようやく武士の世を到来できたと実感できたのではないでしょうか?
後白河院は史実ではまだそのことを認めないかのごとく、平家と源氏の間を暗躍していきます。

さて、北条義時がちらりと登場してました。
この時点では北条姓を名乗っていなかったそうです。
学校では源頼朝が幕府を開いた時点で朝廷から幕府が政治をおこなったようなことを教わった記憶があります。
しかし、実際にそうではなく、頼朝死後、承久の乱を通して高倉上皇の子の後鳥羽上皇と戦い、朝廷の権力をすべて奪い、武士の世を確定させる役割を担います。
もちろん後白河院もその頃にはこの世の人ではありませんでしたが。
この時点では重要人物ではなくても、覚えておくべき人物ではあります。
もっとも鎌倉でライバルを殺しまくっているので、血なまぐさい男ではありますが。

さて、次回はついに最終回。
今年度の大河ドラマも締めくくりです。

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