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zoom RSS 平清盛 (42)

<<   作成日時 : 2012/10/28 22:23   >>

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前回が鹿ヶ谷事件の前半、反平氏の挙兵を決意するまででした。
こちらはどちらかと言えば、平清盛側が後白河院の勢力を削るために謀略を仕掛けていました。
今回は、それに気づいた後白河院が平家の勢力を削るために謀略を仕掛けました。
福原に隠棲する清盛を京に引きずり出すために、比叡山に手を出し、比叡山の奪還の動きも読んで、さらに平重盛と宗盛に比叡山攻撃を命じて、清盛に判断を仰がせるあたり、さすがです。
ここまではよかったのに、摂津源氏の一門である多田行綱しか武力を頼まなかったあたり、もう一手足りなかったのでは、と思います。
ドラマでも兵力に欠けると思った行綱は、源頼政に助勢を頼みに行っていました。

史実の行綱はなぜ裏切ったのかは分かりませんが、ドラマでは頼政の一言で行綱は裏切りを決めたように思えます。
一門の命をかけたバクチなのですから、当然慎重に立場を選ぶでしょう。
頼政も平家に背けない自分に忸怩たる思いがあるかもしれませんが、今の状況を見ても背けないことはわかりきっているのでしょう。

行綱の密告で陰謀が露見し、清盛は藤原成親と西光を捕縛します。
そのうち、西光を、ドラマでは清盛自ら謁見して問い詰めますが、西光の口から出るのは罵詈雑言です。
清盛はこの言葉にキレて、西光を蹴り倒します。
西光の罵詈雑言は、清盛がやってきたことは王家への復讐でしかない、志ではない、と。
武士の世の実現を目指す清盛にとっては痛いところを突かれたのでしょう。
たぶん復讐と志の間で自分のやっていることを長い間に分からなくなっていたのかもしれません。
だから復讐でしかないと言われて、西光を否定することができなくて、キレたのではないかと思います。
一方、そのころ伊豆では源頼朝がようやくニート生活から脱出を目指すようになりました。
もちろん、後の奥さんである北条政子に活を入れられて、ですがwww
このあたり、ワイルド小娘から見ていて、そうまるで清盛の女版のような、政子を見ているからしっくり来ます。

さて、鹿ヶ谷事件は、実際には清盛によってでっち上げられたという説もあります。
つまり、天罰がまかり通る当時、比叡山攻撃の命が平家を陥れる陰謀であると考えた、あるいは回避するために先手を打って清盛が後白河院周囲を排除したという説です。
鹿ヶ谷の集まり自体は、後白河院と側近達が比叡山攻撃について話し合っていただけ、あるいは単に酒盛りをして憂さを晴らしていただけという説もあります。
どういう理由であれ、西光は死罪、成親は流罪の後殺害され、後白河院の有力側近は取り除かれ、勢力を著しく減退させることになります。
なお、首謀者とされた西光の息子たちも死刑もしくは殺害されます。
しかし、平家を良くは思っていない勢力が朝廷には残っており、まだ清盛と後白河院の勝負は続くのです。

さて、次回はついに安徳天皇の誕生ですね。
重盛も心配な予告ですね。

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あしたまにあーな
2012/10/28 23:01

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