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zoom RSS 平清盛 (21)

<<   作成日時 : 2012/05/27 22:33   >>

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今回は待ちに待った保元の乱の激突の回でした。
全体的には、愚管抄や保元物語といった資料に沿った展開だったと思います。
それらの流れを知っていれば、比較的わかりやすい展開だったと思う回でした。
ただ、前回の演出の方だったらもう少し緊張感のある回だったかなと思いますが。

後白河帝側が高松殿に、崇徳上皇側が白河北殿に着陣するまでが前回の回でした。
後白河帝側が平清盛三百騎、源義朝が二百騎、源義康が百騎でした。
崇徳上皇側はもっと少なく、源為義がいるとはいえ特に源氏の兵力は河内源氏とその郎党のみで坂東の主要な武者たちは義朝に着いていたと言われています。
同じ京を舞台とする後の応仁の乱の頃と違って、まだ兵であふれかえるようにはなっていないと思われます。
ドラマでは同じ孫子を解釈の違いで戦術が違うという展開ですが、実際には兵力不足の崇徳上皇側が夜討ちをかけたとしても勝負に負けると判断する一方で、後白河帝側の義朝は常套手段であったであろう夜討ちを進言し、採用されたと思われます。
実際、相手が守りを固めて籠もった場合、攻め手は守り手の兵力の三倍は必要といいますから。
なお、保元物語では夜討ちの策はドラマ通り源為朝が進言ということでしたが、崇徳帝側近の藤原教長は崇徳上皇、藤原頼長、為義、源頼賢が中心になって戦術を考えていたと戦後に答えたそうです。

ドラマでは、史実通りに、為朝が守る白河北殿南門へは清盛の部下の伊藤忠清の一隊が、清盛本隊は北門へ、そして義朝の一隊が賀茂川を越えて西門へ向かいました。
ドラマは、平氏が攻める白河北殿の門では防御側に対峙するように馬と郎党が押し寄せ、馬に乗る武士が矢を射かけました。
南門では忠清の弟が為朝に矢を射かけて、逆に射殺されていました。
このように馬にのって矢を射ることを騎射と呼びます。その中でも馬を走らせながら矢を射ることを馳射と言います。
当時の戦いは、騎射戦が中心でした。つまり、武士が馬を走らせ、矢を射かけあうのが戦いの様子でした。
もっとも息子の源頼朝の頃になると様相は変わってくるのですが。
一方、義朝が攻める西門へたどり着く前に、察知した弟の頼賢が待ち伏せていました。ドラマでは泥まみれで戦っていましたが、これは賀茂河原だそうです。
このような場所では自由に馬で戦うことができるはずはなく、全員が馬から下りた徒武者にならざるを得ません。
当時の戦いが騎射戦が通常の戦い方であるように甲冑もそれに合わせた鎧でした。
徒歩で戦うのは重くて結構つらかったと思います。

必死で戦う頼賢の前に、義朝は苦戦を強いられます。そんな義朝を救ったのが第二陣として送られた源頼政でした。義朝が河内源氏の家に対し、源頼政は摂津源氏の家です。
結局頼賢を抜いて、義朝は白河北殿にたどり着きます。
しかし、為朝の守る南門では、平氏の軍勢が攻めあぐねて損害ばかり増やしていました。
そこへ義朝配下の鎌田正清が為朝を攻めます。ドラマでは正清と為朝が戦い、父の通清が負傷するシーンです。
何度も正清は攻めかかったと言います。
伊藤忠清以下の平氏は結局、撃退されたわけですね。
義朝は為義が守る門にたどり着き、突入戦が始まります。
その頃、清盛は何をしていたかと言えば、ドラマでは忠正叔父さんと戦っていました。
清盛と忠正叔父さんは不要な血を流さないために刀による一騎打ちを繰り広げます。
そして、忠正叔父さんの息子たちは父が不利になると門から出撃を命じ、乱戦へ突入していきます。
待ってましたと、清盛配下の武士たちは矢を射かけた後、刀を抜いて徒歩戦へ突入です。

保元物語や平治物語では、保元・平治の乱は騎射戦であると書いているそうです。
しかし、当時の路は決して広くはなく、どれだけ騎射戦ができたのでしょうか?
ドラマを見ながら思いましたが、徒による戦いも多かったのではないかと、思います。

ドラマでは、攻め手に欠いた義朝は信西入道に火攻めの許可を得ます。
このときの信西入道のセリフが、とうてい悪左府殿ではいえないものですね。
政治家信西らしいセリフでした。
さて、義朝配下の武士によって火矢を射かけられ、白河北殿は炎上します。
義朝が信西入道の許可を得て火攻めにするくだりは保元物語の記述らしいのですが、実際には坂東武者の常套手段らしいので、当初からそのつもりでいたのではないかと思います。
炎上した白河北殿には立て籠もることもできなくなり、崇徳上皇側の面々は脱出するしかなくなったわけです。
ドラマでは午前4時に始まった戦いも、午前8時にはほとんど決着がついていたそうです。

ドラマでもそうでしたが、史実でも保元の乱の主役は義朝ですよね。
どちら側の源氏の強さが前面に出た回だったと思います。
史実の方でも、印象の薄い平氏なんですよね。

次回、保元の乱の戦後処理の回。
予告からしてすでに。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
平清盛 第21回「保元の乱」
間違いなく前半の最大のイベントである保元の乱が始まりました。今まで歴史の勉強をしていた学生の頃まで保元の乱について、あまり詳しく知らないまま来てしまったことが残念でもあり、逆に様々なことが新しい発見となることが嬉しいことから、どんな感じだったのだろうと興味津々で始まりました。前回くらいから話の内容がしっかりとしてきていて、保元の乱自体もしっかりと描いてくれるだろうという期待が高まります。 今回の戦は平氏と源氏にとって一族を二分するかのような状況の中で、それぞれがどのように思いながら戦っていくのか... ...続きを見る
あしたまにあーな
2012/05/27 23:20

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