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zoom RSS 平清盛 (13)

<<   作成日時 : 2012/04/01 21:40   >>

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今回は後藤さま登場です。
いや、違う。草々師匠の登場です。
ま、つまり武蔵坊弁慶が登場するわけですが、弁慶と言えばどうしても源義経がらみが有名です。
若い頃延暦寺で僧兵だったことは聞いたことがあるのですが、これが祇園闘乱事件に絡んでくることは初耳でした。
ドラマだけ?
今後も清盛にもっと絡んでくることになるのでしょうか?
そうだといいなぁ。

今回は、その祇園闘乱事件でした。
この事件は平清盛が記録上に残る最初の事件です。
1146年、清盛はすでに29歳。
祇園闘乱事件とは、祇園社に田楽を納めようと、その護衛を平氏の親父殿と清盛の郎党が行っていましたが、祇園社の神人と刃傷沙汰を起こした事件です。
平忠盛が先手を打って、検非違使に下手人を引き渡しましたが、責任問題を問う延暦寺は強訴に出て平忠正・清盛親子の処罰を鳥羽院に求めました。
処罰が決まるまでにあった議論で、ドラマとはちと違いますが藤原頼長は中国の古典「春秋左史伝」の故事を引用して忠盛・清盛が責任者として連座処罰されるべきであると、意見を述べました。
これは正論ではありましたが、現実としてお金等色々と平氏に依存している鳥羽院が平氏を守るのは当然と思っていたようです。
三日の後に返答するとした処罰が決まったのは、実に3か月後のことでした。
その後も色々ともめて、鳥羽院が祇園社に法華八講を行ったり、忠盛が伊勢にあった荘園を寄進してようやく決着がついたのでした。
また、この事件を契機に武士が関係する朝廷の部署が増員され、ますます武士無しでは済まない状況へと変わっていたのです。

ドラマでは、頼長がことごとく反対意見をいう信西、流罪にならなかった清盛への憎しみを深めて行っていましたが、正論をぶった頼長は後に忠盛が死んだ時、忠盛のことを「いまだ奢侈の行いあらず」と公正で驕り高ぶることのない人と評しており、史実の方では特に憎しみがあったわけでもなく頼長らしく正論をぶっただけのようです。

さて、ドラマの方は頼長とその兄の忠通が意見が分かれ、そして信西が頼長と意見を異にして、そして頼長の父忠実が鳥羽院と対立して、どんどん亀裂が深まっていきました。
今後はこういった対立構図で話が進んでいくことになるのでしょう。

そういえば、ドラマで鳥羽院と清盛の最後のシーンがなんだか、よくわからない印象を受けそうです。
ここは、私なりに、白河院の呪縛から解放されたかった鳥羽院は、事件のあらましやみなの意見を聞いているうちに、清盛がその呪縛から解放してくれるのではと考えるようになり、そして会ってみたらそのとおりで、何があっても守ることにしたと解釈しました。
いかがでしょうかね?

次回、家盛くんがどうなるのでしょうか?

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タイトル (本文) ブログ名/日時
平清盛 第13回「祇園闘乱事件」
今回は清盛が起こした騒動である「祇園闘乱事件」一色となりました。ここまで題名と内容がぴったりと合うのも珍しいことではありますが、それ故終始一つの内容をしっかりと見ることができて満足できるものとなりました。 強訴を当然快く思っていない比叡山延暦寺の僧侶たちは、平氏の中で一番の弱みである兎丸を挑発することによって見事混乱を起こすことに成功します。絶対的なものを背中に背負っていることから、かの白河院も自分の意のままにすることができなかったと言われる僧侶たちですが、清盛たちもまた同じように苦労することに... ...続きを見る
あしたまにあーな
2012/04/01 21:59
平清盛 第13回「祇園闘乱事件」・・・
めっちゃくちゃ中世史スキが見るドラマになってきたね。 青木崇高@鬼若=弁慶なんて絶対に注釈がないとわかんねーって。そういや、竜馬伝の後藤象二郎以来の大河ドラマ出演でしたね。どっちもバックに大物がいて暴れ廻る役柄となってますね。神輿に矢が突き刺さってビビ… ...続きを見る
人斬り藤次郎の雄叫び
2012/04/01 23:27

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