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zoom RSS 平清盛 (11)

<<   作成日時 : 2012/03/18 20:52   >>

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前回、佐藤義清が恋に破れて突然の出家。
その報告を清盛くんが行いました。
やっぱり「朕には義清だけが心のよりどころだった」と崇徳帝が嘆いておりますが、崇徳帝→佐藤義清→待賢門院璋子とあまりに一方的過ぎます。
悲しむ帝を前に驚いたことに清盛くんは突然身の上話を始めます。
義清を失ってお嘆きの崇徳帝を慰めようというわけですが、さすが清盛くん、慰めているようには聞こえません。
ところで、清盛はいつから帝の前に伺候できるようになったのでしょう?

一方、タマちゃんも義清の出家を知って、人の人生を狂わせてしまったと落ち込みます。
そこを堀河局、さすがいいことを言います。わざとちょっとすり替えていますが、
「義清どのは人が人を愛することの罪深さを知ったのです。それを璋子様が教えたのです」
ですが、せっかくの堀河局のお言葉も、そのときは納得したようなタマちゃんの心の奥底には届いていなかったみたいです。

義清が出家して西行となったのが保延6年、1140年の事です。その年に崇徳帝に息子が誕生しました。
そうなると、崇徳帝にも欲が出てきて、息子に譲りたくなるのも道理です。
鳥羽上皇に毅然と宣言するARATAさんの演技、いいですね!
翌年、時の関白藤原忠通と国母を狙う美福門院得子が策を講じて、ついに崇徳帝を退位に追い込みます。
というか、ドラマでは得子オンリーの陰謀でしたね。
陰謀というのは崇徳帝は実の弟である養子に譲ったつもりが、譲位の宣言文では皇太弟になっていました、というものです。
いわば、息子に譲ったつもりで起草した法律が、施行してみたら弟になってた、って感じでしょうか?
基本的に直系に天皇位は譲られていくので、院政は父親でなければできない決まりでした。
つまり、弟に譲ってしまうともう崇徳帝が院政を行うことができません。
憎き鳥羽上皇がお亡くなりになっても、自分には政権が戻ってくることはないのです。
もちろん、得子一人ができるわけはなく、関白忠通だけでももちろん無理で、鳥羽上皇の関与なしにできるわけがありません。
なので、ドラマでは「得子っっ!」って崇徳帝が恨み声を上げてましたが、ほんとの悪いやつは鳥羽院ですね。
得子、その後ろにいる鳥羽上皇が先手を打ったのですね。どれだけ、白河法皇が憎いんだよ。
こうして二歳児が即位して、近衛帝になりました。
このあたり人物関係を把握していないとなんのこっちゃ!って感じですが、仕方がないですね、事実がややこしいから。
それにしても、言葉一つで譲位に追い込む得子は男前です。

得子はさらに目障りなタマちゃんまで手にかけます。
呪詛事件をでっち上げて得子を追い込んでいきます。
それにしても、得子はわざとタマちゃんを追い込んでタマちゃん自身の罪を救ってくれるというタマちゃんの介錯、ちがった、解釈はなんとポジティブなんでしょう。
最初の頃の人の気持ちに気がつかぬタマちゃんと比べて、なんと人間らしくなったものでしょう。
でも、堀河局が言った言葉が忘れられてる。w
ともあれ、結局呪詛事件のためにもう権力も地に落ちたタマちゃんは出家するのです。
1142年のことです。

さて、忘れてました。
本編では、清盛の妻、明子が疫病で亡くなりました。
疫病、つまり伝染病では当時ではどうしようもなかったでしょう。
罹患者本人の体力勝負ですよね。
実際には、家人の何人かを経由して、感染したのでしょうが、そこはドラマです。
しかし、ちゃんと隔離しているあたりはさすがに経験則で知っていたのでしょうね。
それにしても、清盛くんのストッパー、明子が亡くなってしまっては、清盛のストッパーは平盛国一人になってしまいました。
もう今回もボコられてましたが。

次回、はやくも時子と結婚でしょうか?

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