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zoom RSS 江 姫たちの戦国 (35)

<<   作成日時 : 2011/09/11 22:33   >>

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今回は、タイトルから関ヶ原があるのかと思っていたら、関ヶ原はこれからで前日まででした。
石田三成の挙兵の知らせを聞いた徳川家康は、7月25日に有名な小山会議を開いて、西へ引き返すことを決めました。
ドラマでは細川忠興が言い出しっぺでしたが、重要なのは丹波地方の領主である細川忠興より東海道を守る大名が居城を提供すると言い出したことでした。
「功名が辻」での山内一豊ですね。史実ではこちらの方が近いですね。
これで徳川家康は安全に西進が可能になりました。
しかし、史実でもドラマでも家康は江戸に戻っただけでした。
これは多数派工作に、石田三成に後れをとったからです。
有名な、数多くの手紙を日本全国中に送っています。
もちろん、当てのない恩賞を出しまくりに、嘘をつきまくりです。
これは家康だけではなく、本能寺の変後のサル殿も実は信長が生きているとか、その信長も実際の戦果の数倍に水増しして書いて送ったりしていました。
ドラマでは出てきませんでしたが、8月中旬には美濃まで来ていた福島正則や細川忠興、黒田長政が早く戦いたいのに対し、自分の味方をするのが誰かわからない家康の間でだいぶやりとりがあるほど、家康はなかなかその重い腰を上げませんでした。
東海道筋の大名が城を提供する以上苦しいいいわけしかできず、9月1日にようやく出陣することにしたのです。
というか、8月23日に彼らは岐阜城を陥落させており、こうなりゃ家康は行くしかなくなったしまったのです。

一方、ドラマではこれまたあんまり描かれていませんでしたが、8月1日に伏見を陥落させた後、石田三成は近畿圏を確保すべく、あちらこちらの東軍を城を攻撃させていました。その中には細川忠興の父細川幽斎が立てこもっていました。
8月10日に陥落させた大垣城へ三成自身も移動しています。
そして、美濃ー尾張のラインを最前線として迎え撃つ計画を立てていました。
ですが、後方の反対勢力排除を優先したため、その計画通りにはうまく事は運びませんでした。
こうした中で、初の旦那の京極高次は、家康へ内通しつつ、三成にも実はいた息子を人質に送り軍に参加していました。
ドラマでもあったように、9月1日西軍を抜けると、3日には船で(!)大津へ戻ります。
籠城戦を始めることになるのですが、あだ名が蛍大名の高次君はどうすれば生き延びられるか、必死に考えたのでしょう。
前回、意味不明の流れる汗のアップがありましたが、彼のような小大名はみな同じだと思います。
ちなみに籠城戦のさなかで、松の丸殿が気絶するシーンがありましたが、お笑いシーンかと思いきやどうもそんな話があるようです。
さてドラマでは淀殿と北政所さまがタッグを組んで、考蔵主が使者に出した話が出てきました。
飛び交った銃弾が止まったと思えば、部屋の入り口に現れるってどうやって入ったんだよ!
ドラマでは説得は失敗していましたが、結局家臣と考蔵主の説得で9月14日に降伏することになります。
さて、ドラマではこのとき淀殿と北政所さまは西軍に協力しろって言ってましたが、ほんとに言ったのかな?
手紙にも書いて、どちらが勝つかわからない状況で言質を取られかねないことしたのかな、と。
むしろ、助命込みで降伏するように説得したかもしれませんが、そこまでではないかと思うのです。
この大津攻防戦は結局1万を超す西軍と名将立花宗茂を引きつけ、関ヶ原へ間に合わせませんでした。
なお、この助命工作のため、北政所様は家康に協力せよと言っていたというのは嘘ぱちではないかとも言われているのです。

その頃、徳川秀忠軍は家康の命で、中山道を美濃に向けて進軍していきます。
今回のドラマだけではなく、一般に美濃で合流すべく進軍したとされています。
実際、江戸の家康直下の軍とあわせると、それはとても兵を養えないので分けて進軍することはナポレオンはじめ古今東西あることではあります。
しかし、当初の秀忠への命令は信州平定であっとも言われています。
それなら、真田攻めも納得なのです。
なぜ途中で命令が変わったのかというと、江戸に家康が居座ったままどうするか決断せずにとりあえず秀忠に信濃を攻略せよと命令を出していたのに、東軍大名の突き上げで家康が西へ動くことになって、そこで兵力を呼び寄せるために美濃へ向かわせたということらしいのです。
ならば、秀忠が遅れた責任の一部って家康じゃん!
結局、9/14の時点で、秀忠君はまだまだ美濃に入るか入らないかの頃、全然間に合いませんでした。

次回、ほんとに関ヶ原。

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江 -姫たちの戦国- 第35回「幻の関ヶ原」
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