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zoom RSS 龍馬伝 (45)

<<   作成日時 : 2010/11/07 20:53   >>

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最新式のミニエー銃1000丁を土佐に持って帰る龍馬さん。
このミニエー銃、アップ時によく見ると、銃床部分が傷だらけ。
それもそのはずで、1865年、つまり劇中時間の2年前にアメリカ南北戦争が終結し、中古のライフルが世界的に余っていました。
これらの余剰ライフルが戦争の気配ぷんぷんする日本へ流れ込んできました。
もっとも最新式と言っても、1861年に始まった南北戦争で使われたと言うことは基本的にそれ以前に開発されたものなので、アメリカ軍やイギリス軍で正式採用されて10年以上経っているものでした。
ただし、伝習隊をはじめとする幕府歩兵隊は一部がフランスから送られた1866年採用の初期のボルトアクション式シャスポー銃を使用していましたし、薩摩藩の歩兵隊もイギリスで同じく1866年に採用されたスナイドル銃、あるいは改良したエンフィールドライフルを使用していました。
これらは給弾方法が後装式であり、前装式のミニエー銃より短時間で装弾できるという利点のため、火力を増大できました。
実際、この後数年後に起きる普仏戦争では、シャスポー銃でフランス軍が20分で8000人の損害を与えたという話もあるようです。
もっとも前装式のエンフィールドライフルを後装式に改良することは簡単だったようで、それを劇中では最新式と呼んでいるかもしれません。


さて、ミニエー銃を土佐にもっていく途中で下関に寄り道した龍馬さんは、土佐の意志を伝えるべく木戸さんや大久保利通に会います。
それにしても、いつもは交渉上手なのに、こういうところで本心をべらべら言ってどうするの?って思いますが、信頼した人には心の中をオープンしてしまうそこが龍馬さんの良いところ。
さて、大久保利通がなぜ下関にいたのかというと、薩摩はこの頃には薩土盟約を解消してむしろ長州と連携を強めていました。
翌10月には合同で京都へ派兵するよう協議するために長州を訪れていました。
たぶん龍馬さんが訪れたこの時点でその合意ができていたのでしょう。
それで大久保利通は時遅しと冷笑気味だったのかもしれません。
そのうえ、西郷さんら薩摩藩の京都部隊は討幕の勅許を得ようとしていました。、
果たして龍馬さんにはそれが直感でわかったのか、危機感を強め、土佐に帰っていくことになります。
その前に人生発の朝帰りをやっちゃいましたが。

龍馬さんはお龍さんに、桂浜には鯨が来て、土佐の大殿様は鯨のように酒を飲む、と言っていましたが、これはもちろん容堂公のことで鯨酔公とも呼ばれていたからです。
しかし、この人がねぇ。

さて、龍馬さんは9/23に土佐に戻って、次回大政奉還に向けて鯨酔公を説得を試みます。
今回でクランクアップのシーンもありましたし、残り、3回ですね。

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