FujiiHの部屋

アクセスカウンタ

zoom RSS 功名が辻(38)

<<   作成日時 : 2006/09/25 01:36   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

タイトルは「関白切腹」。
ついに、関白豊臣秀次が切腹です。
タイトルがこうだから、め一杯やるのかと思えば、本能寺のときと一緒で、最初の1/3であっさり終了。
後の2/3はそれに関連して、拾の去就です。

今回の大河では秀次の気の弱さをよく表していた(成宮くんも好演)と思います。文化人としての部分を描こうとしたのは初めてでした。
ただ、実際には、奇行が目立つようになったと言われていましたが、その部分はカットとされてましたね。このエピソード自体も創作という話があるので、そういうわけでカットしたのかもしれません。
正直秀次が本当に気が弱かったのかと言われると、そうではないのかもしれません。なんだか小牧・長久手の一回の失敗が全てのように扱われているような気もします。
功名が辻でも、近江八幡を領していた頃は元気です。これが本当の秀次のような気もします。
ただ、武士の出ではない秀吉の前に、秀次を後継者にするという選択肢は無かったのかもしれません。
よく言われるように秀次の死は豊臣家の寿命を著しく、縮めました。
でも、尺の都合か、そもそも脚本になかったのか、秀次事件後に一豊さんが知行を増やしたことは一言もなかったです。

今回の本当のメインである拾ですが、史実ではどういう理由であったかは分かりませんが、結果的に出家させました。
でも、この義理の親子の愛情が通り一辺倒のモノではなかったことは、拾、長じて湘南和尚が住持をしていた京都妙心寺の大通院に夫婦の墓があることも分かります。このことは大河では一言も触れてませんが、「そのとき歴史が動いた」で紹介していました。
そして、湘南和尚も大通院に墓があります。
よねちゃんはどこだっけ?

次回は一代の傑物、太閤秀吉の死です。
私も関西人ですので、太閤秀吉には好印象を持っていますが、さすがに晩年の秀吉はね。
前回、ねねがいみじくも言ったように、何もかもが怖かった、のかもしれませんね。
さて、次回秀吉が死ぬと言うことは10、11月が関ヶ原前で、12月が関ヶ原後?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
しだいに、変わっていく秀吉。
あの人なつっこい秀吉は、何処に・・・どんどん悪行三昧になっています。甥の秀次について、あまり大河ドラマでは扱われていない暗いエピソード。今回は、良く描かれていた。実際の「秀次」は、領民から慕われていた領主だったらしく秀吉に子がなく、後をこのまま継いでいた.... ...続きを見る
「大河ドラマ」ブログ
2006/09/26 12:49

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
功名が辻(38) FujiiHの部屋/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる